3年前。
2011年5月7日、午前2時57分。
聖隷浜松病院にて、晴ちゃんを出産しました。
2686g、50cm、AB型、の女の子(♀)。
名前は、いまどき古風すぎる響きだけど『晴子』と書いて『はるこ』。
ただ、出産後、、、
母親の私は体力の回復を待つだけなのに対し、晴ちゃんは命の危険を伴う病気を抱えて産まれてきました。
臨月にさしかかった頃、検診時のエコーで、お腹の中の晴ちゃんの先天性疾患が見つかり、急遽、最新の治療環境がある大きな病院に検査入院&転院する事になりました。
それまで順調にきていた、近所の個人病院での妊婦検診。
いつもより長い時間じっくりとエコー画像を凝視していた先生が、いつになく真剣にこう言いました。
「赤ちゃんのお腹のあたりに黒い影が見えます。
水か何かが溜まっているのか、他の理由があるのか、それを詳しく知る治療環境があいにく私の病院には無いので、大きな病院に転院して詳しい検査をするために紹介状を書かせてください。」
と言われました。
頭の中が、真っ白になりました。
家に帰って、先生が言った言葉を思い出し、ネットで何回も何回も検索しました。
【胎児 エコー 腹 黒い影 水が溜まる】etc.
目を覆いたくなるような内容ばかりが目につき、再び目の前が真っ白になりました。
その後、静岡県でもトップクラスのNICUがある聖隷浜松病院に検査入院&転院することになりました。
判明した晴ちゃんの病名は、、、
『先天性横隔膜ヘルニア』。
簡単に言うと、妊娠時の胎児の発達異常により横隔膜に穴が開いてしまい、周辺の臓器を巻き込んだまま成長してしまうことで、肺などの臓器が正常に発達せず、産まれてもうまく肺呼吸出来ません。
よって、何らかの障がいを持ったり、最悪の場合は生きられないという病気。
胎児は、産まれた瞬間に大きな声で泣く事で、それまで胎盤からヘソの尾を通じて酸素もらっていたのが、自然に肺呼吸に切り変わるそうです。
しかし、晴ちゃんは、産まれても早々に手術しないと、障害を持ったり、最悪の場合生きられ無いという残酷な現実。
再び、余計不安になると分かっているのに、夜な夜なネット検索。。。
・出生率3000~5000人に1人。
・死亡率50~75%。
・近年、施設によっては75~90%を救命実績あり。
・医学の発達により、救命実績は上がったものの、それに伴い、重度な障がいを持つ事例が増加。
・難聴になる事例が多い。
どうしても、マイナスな情報ばかりが目につきます。
臨月になり、あとは出てくるのを待つだけ……という幸せなはずの妊娠期間が、不安で辛くて悲しい時間に変わりました。
お腹の中の晴ちゃんは、自分が患った病気の事なんて知らずに、元気にポコポコと動き回っていました。
先生に、
「赤ちゃんは胎盤からお母さんの酸素をもらっているから、お腹の中では苦しさを感じていないんですよ。」
と言われていたはずなのに、晴ちゃんの胎動が、窒息しそうで苦しくて、助けを求めてポコポコしているんじゃないかと思えて不安でした。
逆に、おとなしい時も、お腹の中で絶命してしまったんじゃないかと不安でした。
その当時の心境を思い出すとと、今でも息苦しくなって涙が出ます。
後日、より計画的に晴ちゃん病気の治療をするため、誘発分娩をする日程が決められました。
しかし、その3日前に、自宅にいる時に陣痛が始まってしまいました。
幸い家族が近くにいたので、急いで病院に飛び、結果、予定日より11日早い出産となりました。
私の分娩自体は、安産と言われる領域だったので詳細は割愛します。
陣痛室にいる時、一足先に分娩台で苦しそうに叫んでいるお母さんの声が聞こえていて、自分もああなるのかと不安を感じつつ、続いて赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえた時。
自分は、あんな風に我が子の産声を聞けずに、集中治療室に連れられてく姿を見守るしか無いかもしれないんだと思って、陣痛の痛みというより、産んだ後の事が不安で心配で悲しくて泣けてきた瞬間もありました。
でも、晴ちゃんはそんな心配をよそに頑張ってくれました。
幸いな事に、元気な産声をあげてくれて、1分くらいだけだけど、胸の上に抱く事がでました。
予定通り、産まれてすぐに人工呼吸器を付けられて集中治療室(NICU)に入っていった晴ちゃん。
ひとまず、死産という最悪の事態は脱した事に安心しつつも、NICUでいろんな装置や管を付けて眠ってる姿や、これから、小さい体が手術を受けると思うと心が痛くなりました。
眠気が限界に来たので、続きは次回に持ち越します。
長文失礼しました